可能性開花ブログ 見える価値と見えにくい価値 こんにちは 可能性開花トレーナーえっちゃんです。 友達同士で、あるいはパートナー(夫婦・恋人・仕事の関係)同士で関係性が続くとき、そこには「提供し合っている価値は同等である」という基本原則があります。 例えば夫婦の場合、専業主婦である妻が、稼ぎの多い夫と比較して働いていない自分を卑下してしまうということがたまにあります。 または妻の方が稼ぎが良くて、夫が自信喪失することもあります。 いずれにせよ、何をもとに自信をなくされているかというと、収入という目に見える(数字になる)価値をもとに比較した結果です。 相手にはこれだけの収入があるのに私はそんなにない。 つまり、相手に与えてもらっているのに、私は受け取ってばかり、という思いからみじめになっている…ということです。 しかし本当は、 自分を卑下してしまっているから、相手に与えてもらっているものを受け取れない というのが正しいのです。 同等の価値を相手に与えているのにそれに気づいていないのです。 価値には目に見える(数字になる)ものと見えにくいものがあります。 収入や資産、社会的地位や名誉・学歴などが見える価値です。 しかし、目に見えにくいものの中にも大切なものがあるのを忘れてはいけません。 上記の例では、収入は対等ではないかもしれません。 しかし、家に帰ってきたときに、「お帰り」といって迎えてくれる笑顔、きれいに片付いた家やホッとできる空間、おいしいごはんなど、外での稼ぎがなくても、そういった価値を提供している場合もあるでしょう。 それもできていないと思う人は、自分でも気づいていない価値を相手に与えていることを忘れてはなりません。 与えているからこそ、二人の関係性が成り立っているのです。 「提供し合っている価値は同等である」という基本原則通りです。 いがみ合っている夫婦が別れないのは、相手のことを大嫌いであったとしても、相手と一緒にいることで受け取れる価値があると感じているから別れないのです。 別れると受け取れなくなる。それは嫌だから別れられないということ。 一例として、DVや浮気に苦しんでいる奥さん。 夫のことが大嫌いで別れたいが、別れると生活できない(生活できるという価値を受けとれなくなる)から別れない というのはよくありますね。 パートナーシップにおいて、どちらか一方が与えすぎているということはありません。 見えにくい価値も含めて、対等に与えあっていると言えます。 (何度も書きますが、基本原則通りです) 私には与えるものがないと卑下しているのは、自分の価値に気が付いていないからです。 与える側と与えられる側(受け取る側)は同等の価値を提供し合っていますので、受け取る側が自分には与えるものがない(少ない)と思ってしまうと、受け取りにくくなってしまいます。 それが、先のようなみじめな気持ち(劣等感)を生み出す原因です。 なので、そういう気持ちになった時には、自分が与えているものに今一度目を向けてみましょう。 そして、さらに大事なことを言いますと… 「与える」という行為は「受け取る」という行為があってこそ成り立ちます。 つまり、与えたいことや物があっても受け取る人がいないと与えることができないのです。 ということは…パートナーという関係性が続いている以上、与えあっている価値は同等であると言えます。 もし100%、あなたが相手に与えるものがないと言い切れる状況だったとしても、実は「相手からの価値を受け取っているという価値」を相手に与えているからこそ、その関係性は成り立っているといえるのです。 だから、目に見える価値だけで自分を卑下したり劣等感を持つ必要などないのです。 もしそういう気持ちになった時には、笑顔と感謝の言葉を相手に伝えてみるのもいいですね。 コーチフィオーレはあなたの成幸をサポートします 投稿ナビゲーション 千賀一生氏「宇宙法則メッセージ」より 苦しいときは
こんにちは
可能性開花トレーナーえっちゃんです。
友達同士で、あるいはパートナー(夫婦・恋人・仕事の関係)同士で関係性が続くとき、そこには「提供し合っている価値は同等である」という基本原則があります。
例えば夫婦の場合、専業主婦である妻が、稼ぎの多い夫と比較して働いていない自分を卑下してしまうということがたまにあります。
または妻の方が稼ぎが良くて、夫が自信喪失することもあります。
いずれにせよ、何をもとに自信をなくされているかというと、収入という目に見える(数字になる)価値をもとに比較した結果です。
相手にはこれだけの収入があるのに私はそんなにない。
つまり、相手に与えてもらっているのに、私は受け取ってばかり、という思いからみじめになっている…ということです。
しかし本当は、
自分を卑下してしまっているから、相手に与えてもらっているものを受け取れない
というのが正しいのです。
同等の価値を相手に与えているのにそれに気づいていないのです。
価値には目に見える(数字になる)ものと見えにくいものがあります。
収入や資産、社会的地位や名誉・学歴などが見える価値です。
しかし、目に見えにくいものの中にも大切なものがあるのを忘れてはいけません。
上記の例では、収入は対等ではないかもしれません。
しかし、家に帰ってきたときに、「お帰り」といって迎えてくれる笑顔、きれいに片付いた家やホッとできる空間、おいしいごはんなど、外での稼ぎがなくても、そういった価値を提供している場合もあるでしょう。
それもできていないと思う人は、自分でも気づいていない価値を相手に与えていることを忘れてはなりません。
与えているからこそ、二人の関係性が成り立っているのです。
「提供し合っている価値は同等である」という基本原則通りです。
いがみ合っている夫婦が別れないのは、相手のことを大嫌いであったとしても、相手と一緒にいることで受け取れる価値があると感じているから別れないのです。
別れると受け取れなくなる。それは嫌だから別れられないということ。
一例として、DVや浮気に苦しんでいる奥さん。
夫のことが大嫌いで別れたいが、別れると生活できない(生活できるという価値を受けとれなくなる)から別れない というのはよくありますね。
パートナーシップにおいて、どちらか一方が与えすぎているということはありません。
見えにくい価値も含めて、対等に与えあっていると言えます。
(何度も書きますが、基本原則通りです)
私には与えるものがないと卑下しているのは、自分の価値に気が付いていないからです。
与える側と与えられる側(受け取る側)は同等の価値を提供し合っていますので、受け取る側が自分には与えるものがない(少ない)と思ってしまうと、受け取りにくくなってしまいます。
それが、先のようなみじめな気持ち(劣等感)を生み出す原因です。
なので、そういう気持ちになった時には、自分が与えているものに今一度目を向けてみましょう。
そして、さらに大事なことを言いますと…
「与える」という行為は「受け取る」という行為があってこそ成り立ちます。
つまり、与えたいことや物があっても受け取る人がいないと与えることができないのです。
ということは…パートナーという関係性が続いている以上、与えあっている価値は同等であると言えます。
もし100%、あなたが相手に与えるものがないと言い切れる状況だったとしても、実は「相手からの価値を受け取っているという価値」を相手に与えているからこそ、その関係性は成り立っているといえるのです。
だから、目に見える価値だけで自分を卑下したり劣等感を持つ必要などないのです。
もしそういう気持ちになった時には、笑顔と感謝の言葉を相手に伝えてみるのもいいですね。
コーチフィオーレはあなたの成幸をサポートします