可能性開花ブログ フォーカスするもの ここ2日ほど、私は毎食残り物ばかり食べています。 理由は、夕飯に作ったものが余って、なかなか食べるのが追いつかないためです。 子どもたちもある程度大きくなると、それぞれに理由があって家でご飯を食べないことがあります。 連絡してくれれば作らないのにー!!って思うのですが… 腐ってしまう前に食べなくちゃと思うのですが、仕事柄、外食が多いこともあり、なかなか追いつかなくて。 ちなみに、今日のお昼は、3日前の貝のお味噌汁(主人作)4日前のご飯。 お味噌汁は沸騰させてみて味見をしてみると、まだ何とかいけそうなんで、そこにご飯を入れて、朝に作った野菜の残りを入れて、卵を割りいれて、雑炊が完成。 これが結構、おいしそうでした。 一口食べてみたけど、思ったよりおいしい! 私って幸せだなぁ~って思わず言葉が漏れました。 余るほどの食べ物の中で生活できて、寝るところも確保されてる。 しかも平和な日本に生まれて、本当に幸せだなぁと思わない日はありません。 昔々あるところにお姫様がいました。 皆から大事にされ、何不自由のない暮らしをしていました。 ところが彼女は、自分は不幸だと思っています 何故か… 今日のデザートのケーキが気に入らなかった! 読みたい本がすぐに手に入らない! 毎日どこか不満を見つけているからです このように、満足できないところに焦点をあててていれば永遠に幸せにはなれないでしょう 実際にそういう人は私の身近に何人かいます。 なんと幸せな…と思うのですけど、本人には恵まれている部分は当たり前で、見えていないのです。 勿体無いなぁって思います。 これって誰にでもあること。 物質的なものだけではなく、性格や能力的なことも含めると思い当たることもあると思います。 あの人なら出来るけど、私には無理。だって私にはそんな能力はないから… 部下は無能なやつばっかり… あの子はできるのに、うちの子は… 欠けた輪(存在)だという前提で、自分や部下や子どもを見ている。 でも、本当に欠けているのでしょうか? 欠けた輪(存在)ではなく、だから私、だからこの部下(子)だって捉え方。 これで完全な輪(完全な存在)なんだって前提です。 このように、焦点を変えると、違ったものが見えてきます。 見方を変えてみて初めて、欠けていると思っていたところが、実は素晴らしい部分だったって気付くこともありますね。 っていうと、 「それは開き直り。それでは進歩なんてないよ」って言われそうですが、そうではない。 欠けた部分を補って完全な輪にするのが進歩じゃなくて、 完全な輪を更に太くするのが進歩だって考え方もOKですよね。 物質的なものもそうでないものも、今、あるもの、持っているものにフォーカスしてみたら、きっと違う世界が見えてくるはず。 幸福感とはそういった見方、感じ方から出てくるものなのかなぁって思います。 投稿ナビゲーション 同窓会! 嬉しい報告!
ここ2日ほど、私は毎食残り物ばかり食べています。
理由は、夕飯に作ったものが余って、なかなか食べるのが追いつかないためです。
子どもたちもある程度大きくなると、それぞれに理由があって家でご飯を食べないことがあります。
連絡してくれれば作らないのにー!!って思うのですが…
腐ってしまう前に食べなくちゃと思うのですが、仕事柄、外食が多いこともあり、なかなか追いつかなくて。
ちなみに、今日のお昼は、3日前の貝のお味噌汁(主人作)4日前のご飯。
お味噌汁は沸騰させてみて味見をしてみると、まだ何とかいけそうなんで、そこにご飯を入れて、朝に作った野菜の残りを入れて、卵を割りいれて、雑炊が完成。
これが結構、おいしそうでした。
一口食べてみたけど、思ったよりおいしい!
私って幸せだなぁ~って思わず言葉が漏れました。
余るほどの食べ物の中で生活できて、寝るところも確保されてる。
しかも平和な日本に生まれて、本当に幸せだなぁと思わない日はありません。
昔々あるところにお姫様がいました。
皆から大事にされ、何不自由のない暮らしをしていました。
ところが彼女は、自分は不幸だと思っています
何故か…
今日のデザートのケーキが気に入らなかった!
読みたい本がすぐに手に入らない!
毎日どこか不満を見つけているからです
このように、満足できないところに焦点をあててていれば永遠に幸せにはなれないでしょう
実際にそういう人は私の身近に何人かいます。
なんと幸せな…と思うのですけど、本人には恵まれている部分は当たり前で、見えていないのです。
勿体無いなぁって思います。
これって誰にでもあること。
物質的なものだけではなく、性格や能力的なことも含めると思い当たることもあると思います。
あの人なら出来るけど、私には無理。だって私にはそんな能力はないから…
部下は無能なやつばっかり…
あの子はできるのに、うちの子は…
欠けた輪(存在)だという前提で、自分や部下や子どもを見ている。
でも、本当に欠けているのでしょうか?
欠けた輪(存在)ではなく、だから私、だからこの部下(子)だって捉え方。
これで完全な輪(完全な存在)なんだって前提です。
このように、焦点を変えると、違ったものが見えてきます。
見方を変えてみて初めて、欠けていると思っていたところが、実は素晴らしい部分だったって気付くこともありますね。
っていうと、
「それは開き直り。それでは進歩なんてないよ」って言われそうですが、そうではない。
欠けた部分を補って完全な輪にするのが進歩じゃなくて、
完全な輪を更に太くするのが進歩だって考え方もOKですよね。
物質的なものもそうでないものも、今、あるもの、持っているものにフォーカスしてみたら、きっと違う世界が見えてくるはず。
幸福感とはそういった見方、感じ方から出てくるものなのかなぁって思います。