可能性開花ブログ 母の強さ こんにちは。えっちゃんです。 先日、夢を見ました。 夢の中では、わが子がまだ幼稚園生でした。 その日は遠足で楽しそうにお友達と並んで歩いています 私たち親は、その後ろを歩きます。 実際に、幼稚園に入園したての頃、このような親子遠足がありました。 行った先の公園でひとしきり遊んだ後、帰りも同じように並んで帰ります。 ところが…いくら探しても自分の子供がいないのです 不安になって、もう一度、一人一人確認するのですが、やはりいない… 先生に「うちの子がいません」と叫ぶように訴えたら… 先生が、「お宅のお子さんって、幼稚園生でした」と言われました。 そこで、「あ…」我に返って目が覚めました。 そうです、その夢に出てきたのは 末っ子。現在19歳。 親元を離れて一人で住んでます。 目が覚めた瞬間、ほっと安堵したのと同時に、何とも言えない寂しさを感じました。 その寂しさは… 探してたのは幼稚園の息子でした。 今の息子と夢の中に出てきた息子は同じだけど、小さかったころの息子ではない寂しさ。あの子はどこって感じ。 もうひとつは… 私はカウンセリングをしています。 たまに、子供を亡くされたお母様のカウンセリングをさせていただくことがあります。 夢の中で、わが子がいなかった、夢の中でさえ、寂しかった… 目覚めた後、夢で良かったと何度思ったことでしょう。 本当に子供を亡くされた母親の想像を絶する、その悲しみを私には理解することは到底できません。 どれだけ深い悲しみを背負っておられるのかと改めて感じずにはおれませんでした。 つらい悲しみ、激しい後悔の気持ち。 (お母さんが悪いわけではないのに、自分を攻めてしまうんですよね。母親って) あの時、ああしてあげていれば… この時もっとこうできたんじゃないか… 思い出すのはつらいけど、でも、そのつらい思い出でさえ、大切にしたいと切に望んでらっしゃる。 そして、深い深い悲しみからでも、這い上がってこられる強さ。 神々しささえ感じます。 子供を育てていると、いろんなことが次から次にありますが、 ある意味、それは幸せな悩みなのかもしれません。 投稿ナビゲーション 無為不待 愛される人とは
こんにちは。えっちゃんです。
先日、夢を見ました。
夢の中では、わが子がまだ幼稚園生でした。
その日は遠足で楽しそうにお友達と並んで歩いています
私たち親は、その後ろを歩きます。
実際に、幼稚園に入園したての頃、このような親子遠足がありました。
行った先の公園でひとしきり遊んだ後、帰りも同じように並んで帰ります。
ところが…いくら探しても自分の子供がいないのです
不安になって、もう一度、一人一人確認するのですが、やはりいない…
先生に「うちの子がいません」と叫ぶように訴えたら…
先生が、「お宅のお子さんって、幼稚園生でした」と言われました。
そこで、「あ…」我に返って目が覚めました。
そうです、その夢に出てきたのは
末っ子。現在19歳。
親元を離れて一人で住んでます。
目が覚めた瞬間、ほっと安堵したのと同時に、何とも言えない寂しさを感じました。
その寂しさは…
探してたのは幼稚園の息子でした。
今の息子と夢の中に出てきた息子は同じだけど、小さかったころの息子ではない寂しさ。
あの子はどこって感じ。
もうひとつは…
私はカウンセリングをしています。
たまに、子供を亡くされたお母様のカウンセリングをさせていただくことがあります。
夢の中で、わが子がいなかった、夢の中でさえ、寂しかった…
目覚めた後、夢で良かったと何度思ったことでしょう。
本当に子供を亡くされた母親の想像を絶する、その悲しみを私には理解することは到底できません。
どれだけ深い悲しみを背負っておられるのかと改めて感じずにはおれませんでした。
つらい悲しみ、激しい後悔の気持ち。
(お母さんが悪いわけではないのに、自分を攻めてしまうんですよね。母親って)
あの時、ああしてあげていれば…
この時もっとこうできたんじゃないか…
思い出すのはつらいけど、でも、そのつらい思い出でさえ、大切にしたいと切に望んでらっしゃる。
そして、深い深い悲しみからでも、這い上がってこられる強さ。
神々しささえ感じます。
子供を育てていると、いろんなことが次から次にありますが、
ある意味、それは幸せな悩みなのかもしれません。