可能性開花ブログ 陰と陽は一つです こんにちは 可能性開花トレーナーえっちゃんです。 今日もブログにお越しいただきありがとうございます。 先日の記事「大きな大きな勘違い」にいくつかご質問をいただきました。 まとめると 例えば、先生と生徒。医者と患者 というような場合、 教えるもの、教えられるもの、 救うもの、救われるもの、というようなことも分離意識? どう解釈すればいいのでしょう? という内容です。 あるテーマに関して、知識のある方が少ない方に教える。 技術のある方がそれを活かす。 教える方、教えられる方 治す方、治される方 という視点に立つと、立場を分けて考えてしまいがち。 さらに、教えるほう(治す方)の立場が上で教えられる方(治してもらう方)が下 という見方をしてしまうこともよくあることかもしれません。 しかし本来、ここには優劣も上下もありません。 対等です。 そして、そもそもどちらか一方だけというのはあり得ない話です。 教える人は教えられる人がいるから教えられるということ、 治す人は治される人がいるから治せるということ ここを分離するのではなく、一つとして捉えるということです。 教える人も治す人も、教えられる人や治される人にその機会を与えてもらってる ということ。 教える人は教えられる人がいて初めて教えられる、 治す人は治される人がいて初めて治せるのですから。 両者の間にはエネルギーが循環しています。 対価として感謝・笑顔・お礼の言葉を受け取る(無意識の場合も含めて) 対価が物質の場合はお金やお礼の品物ということになるでしょう。 どちらも平等に与え、受け取り合ってるし、そこに優劣も上下関係も存在しません。 しかし、される側の人がする側に与えてるところは、目に見えない(意識化しにくい)ですよね。 そういう意味では「陰」 そして する方、つまりわかりやすい方、これは「陽」 そう、全ては陰陽和合で本来切り離せないものなのです。 それを分離させ、上下や優劣のような価値基準を設けるから、おかしくなっている。 本来、全ては平等に与え合ってるし受け取りあっている。 一方通行はあり得ません。 人だけではなく全ての存在が、与え合い、受け取りあっているのです。 そう考えると、 親切にしてあげたのにあの人からはお返しがないと言うのもおかしな話です。 なぜなら親切にしてあげたその時点でエネルギーが相手から返ってきてるからです。 それは相手からの喜びや感謝。 すでにそれを受け取っているのでお返しが全くないと言う事はあり得ません。 もし本気でそう思うのであれば、それは陽の部分しか見ていないことになります。 それが分離意識です。 もし本当に相手から感謝が返ってこなかったとしても、相手に親切を与える機会を与えてもらっているので、与えあっていますし、当然受け取りあっています。 目に見える形でお返しがないと、もし不満に思うのであれば、それは本当の親切ではなく、エゴだったのかもしれません。 こういったことが頭で考えて実践できてる状態ではなく、自然と体が反応してできている状態がONENESS意識なのかなと思います。 私自身も成長過程なので、もっと成長するにつれ、書く内容も変わってくるとは思います。 そして、これは、私が思っていることですが… 今はまだ、「様々なものを手に入れるためにはお金が必要」というビリーフがあるので、感謝の気持ちとしてのお金が対価として必要ではありますが、もっともっと次元が上昇していくと、お金は社会生活を営むためには必ずしも必要なものではなくなっていくのかなと、 あるいはもっと別のものになっていくのかなと、私自身は思っています。 ちなみに、アリとキリギリス4のお話には、お金は出てきませんが、みんなが幸せな状態で社会が回っています。 これからの社会はこのようになっていくような気がしています。 コーチフィオーレはあなたの成幸をサポートします 投稿ナビゲーション お誕生日に思ったこと 我慢すると漏れちゃうよ
こんにちは
可能性開花トレーナーえっちゃんです。
今日もブログにお越しいただきありがとうございます。
先日の記事「大きな大きな勘違い」にいくつかご質問をいただきました。
まとめると
例えば、先生と生徒。医者と患者
というような場合、
教えるもの、教えられるもの、
救うもの、救われるもの、というようなことも分離意識?
どう解釈すればいいのでしょう?
という内容です。
あるテーマに関して、知識のある方が少ない方に教える。
技術のある方がそれを活かす。
教える方、教えられる方
治す方、治される方
という視点に立つと、立場を分けて考えてしまいがち。
さらに、教えるほう(治す方)の立場が上で教えられる方(治してもらう方)が下
という見方をしてしまうこともよくあることかもしれません。
しかし本来、ここには優劣も上下もありません。
対等です。
そして、そもそもどちらか一方だけというのはあり得ない話です。
教える人は教えられる人がいるから教えられるということ、
治す人は治される人がいるから治せるということ
ここを分離するのではなく、一つとして捉えるということです。
教える人も治す人も、教えられる人や治される人にその機会を与えてもらってる
ということ。
教える人は教えられる人がいて初めて教えられる、
治す人は治される人がいて初めて治せるのですから。
両者の間にはエネルギーが循環しています。
対価として感謝・笑顔・お礼の言葉を受け取る(無意識の場合も含めて)
対価が物質の場合はお金やお礼の品物ということになるでしょう。
どちらも平等に与え、受け取り合ってるし、そこに優劣も上下関係も存在しません。
しかし、される側の人がする側に与えてるところは、目に見えない(意識化しにくい)ですよね。
そういう意味では「陰」
そして する方、つまりわかりやすい方、これは「陽」
そう、全ては陰陽和合で本来切り離せないものなのです。
それを分離させ、上下や優劣のような価値基準を設けるから、おかしくなっている。
本来、全ては平等に与え合ってるし受け取りあっている。
一方通行はあり得ません。
人だけではなく全ての存在が、与え合い、受け取りあっているのです。
そう考えると、
親切にしてあげたのにあの人からはお返しがないと言うのもおかしな話です。
なぜなら親切にしてあげたその時点でエネルギーが相手から返ってきてるからです。
それは相手からの喜びや感謝。
すでにそれを受け取っているのでお返しが全くないと言う事はあり得ません。
もし本気でそう思うのであれば、それは陽の部分しか見ていないことになります。
それが分離意識です。
もし本当に相手から感謝が返ってこなかったとしても、相手に親切を与える機会を与えてもらっているので、与えあっていますし、当然受け取りあっています。
目に見える形でお返しがないと、もし不満に思うのであれば、それは本当の親切ではなく、エゴだったのかもしれません。
こういったことが頭で考えて実践できてる状態ではなく、自然と体が反応してできている状態がONENESS意識なのかなと思います。
私自身も成長過程なので、もっと成長するにつれ、書く内容も変わってくるとは思います。
そして、これは、私が思っていることですが…
今はまだ、「様々なものを手に入れるためにはお金が必要」というビリーフがあるので、感謝の気持ちとしてのお金が対価として必要ではありますが、もっともっと次元が上昇していくと、お金は社会生活を営むためには必ずしも必要なものではなくなっていくのかなと、
あるいはもっと別のものになっていくのかなと、私自身は思っています。
ちなみに、アリとキリギリス4のお話には、お金は出てきませんが、みんなが幸せな状態で社会が回っています。
これからの社会はこのようになっていくような気がしています。
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