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能性開花ブログ

テレパシーと日本語
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こんにちは。
可能性開花トレーナー、えっちゃんです。

今日もブログにお越しいただきありがとうございます

 

能力と可能性の開花の入り口は、コミュニケーションです。

 

だから、コミュニケーションや言葉についてもあれこれよく考えます。

 

今日はコミュニケーションの一つでもある、「テレパシー」と日本語の関係性について、わたしなりに思うところを書いてみました。

 

 

テレパシーってSFの世界でよく出てきますよね。

 

特殊な人しか使えない、特殊な能力。

 

そんなイメージが、昔はありました。

 

 

この仕事を始めたころに、コーチングの練習を、小学校の教員時代の教え子を相手に電話で話していた時のこと、突然不思議な体験をしたことがあります。

 

一言でいうと、ワンネス体験というか、宇宙につながる体験というか…

 

その瞬間、私も含めてすべての人は、決して個ではなくて、広大無辺の宇宙そのものであるということを体感しました。

 

この感覚がワンネスなのかもしれないと、今も思います。

 

そこに一切の言葉は要らなくて、相手の中にあるものを瞬時に感じ取ってしまったのです。

 

その人の記憶も、これまでの経験も、その瞬間感じていることもすべてです。

 

私はあなたであなたは私であり、すべては同じ、すべては一つであるという感覚でした。

 

だから、そこに一切の言葉はいらなかったのです。

 

 

言葉で分かるのではなく、感覚ですべてがわかる。

 

あとで振り返って、テレパシーってこういうことなのかもしれないと思いました。

 

下へ続く ↓

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太古の人たちは、この感覚を常日頃持っていたのではと時々思います。

だから、宇宙(神)を常に内側に体感していたのかもしれないと。

神というのは観念的なもので、とらえどころがありません。

こういう実体のないものは一番言葉にしにくく、幼児の言葉の発達から考察しても、使えるようになるのは言葉としては一番遅いのです。

にもかかわらず、言葉が存在するということは、観念的に体感があったのでは?と。

 

これは私個人の意見ですが、この感覚を持ったまま発達したのが日本語なのかもしれないと、思っています。

というのは、普段、当たり前に使っていて気づきませんが、日本語って言葉にならないニュアンスや空気感をお互い読み合って、会話が成立していると感じるからです。

「あなたは私で、私はあなた」であるなら、そういうことはごくごく当たり前にできますよね。

 

 

日本語は、言葉以外のものを読み取りあうことで成立するコミュニケーションです。

 

日常的に主語を省くし、同音異義語や婉曲な表現、あいまいな表現、一つの単語にものすごくたくさんの動作や意味が含まれていたりすることが多いと感じます。

 

その都度、私たちは瞬時に相手の言いたいことを言葉以外のもの(その場の状況・空気・相手の感情・前後の脈絡・イントネーションなど)から読み取っていて、それができないと、会話が成立しません。

 

このように、言葉にならないものを読み取りあいながらのコミュニケーション、それは一種のテレパシーといえるのではと。

 

きっと、どこの国の言葉もそのような発達をしてきたのだと思いますが、その名残が日本語には多いように思えるのです。

 

感性に重きを置いていた日本人が話していた言葉だからこそ、言外を読み取る独特なコミュニケーションになったのかなと感じました。

 

 

具体的な表現をする英語圏の人たちは、日本人に比べて、理論を重視するので、言葉にならない感覚を具体的に言語化するのが得意だったように思えます。

だから、体系化やマニュアル化するのが日本人に比べて上手だったのかなと。

 

日本の場合は、言葉にできない在り方(Be)を重視し、それを学ぶために徒弟制度が発達したのかもと思うのですよね。

 

日本の徒弟制度は、子弟がずっと一緒に何年も暮らすという特殊なもので、同じ制度でも技術(Do)を学ぶ西洋の徒弟制度とはちょっと違うように思うのです。

 

 

在り方は決して理論や言葉では伝わらないところ。

そこを読み取りあうというか、感じられる感性を大事にする生き方が少なからず日本語成立に大きく影響していたのではと思っています。

 

つまり、日本語でのコミュニケーションにおいて、私たちは使うともなくテレパシーを使っているんじゃないかと。

 

 

人が思考ではなく、感性で生きていた太古の昔、

お互いにつながっていることを体感し合っていて、感じていることが手に取るようにわかりあえていたそのころは、意思疎通に言葉はいらなかったのかもしれません。

 

ひとり言でした。

 

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